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INTERVIEW
石井聰亙
2007.12.28 UP
石井監督は今回、過去に作り出してきた作品をまとめてDVD、あるいは特集上映という形式で世に問うことになった。改めて自分の世界に目を向けることが出来たという。

聖と俗さえあったなら

石井聰亙さん最近、感じるようになったのですが私は必ずしも物語、要するに起承転結のすっきりとかみ合ったそうしたドラマ構成には興味がないらしいのです。最低限必要だとは思いますが。
日活で『高校大パニック』(1976年)を作ることになったときも、この際、台詞なしでいけないかな、なんて思っていました。必要なのは社会性や動機づけ、理屈ではなく、少年と警官隊のクールなバトルだけであり、それをやれれば自分の映画は成り立つはずだ、と。そこに「聖と俗」、それが同時に現れるであろう。それが自分にとっての映画であり、私の映画の目指すところなのです。

自分という可能性の振れ幅の大きさ

石井聰亙さん自分の映画に現れる表現の振れ幅に思いをこらすこともあります。自分、とはここ日本を拠点にして映画を表現媒体にしている存在ということ。具体的にはアメリカ映画、(かつての)ソ連映画、芸術映画、また実験映画、それらを全て享受し、表現できる場所にいる自分における映画表現の意味ということです。
資本主義のシステム下にあってはプロデューサーなりスポンサーなりを納得させるレベルの商業性と物語性を兼ねた作品が生まれ、タルコフスキー達は自己の深度を追究する方向へ向かい、ヨーロッパにあってはスポンサーというよりむしろパトロンの庇護の下で存分に腕を振るう芸術家が現れた。日本にしても他国に類を見ない様々な実験映像を安い予算で制作する作家たちがいます。
そうした磁場において自分はどういう形で映画を作るのか、という時に、例えば自分の男性的な側面を「走る」行為によって示しつつ、女性的な自分を「水」や「石」というイメージの表出において開放する、そんな両極を思う存分に実現してきました。しかしその一方で過去の自分はそれらをどれでもやれる、という可能性の大きさそのものによって逆に規定されてきたのかもしれない。

時代の技術的「上限」としての映像

鏡心「走る」ことの存在論とも言うべき『DEAD END RUN』('03年)はある科学者の要請によって撮影された素材であり、ここには最初からある発明、新技術を映画に適用するという目的があります。また『鏡心』('05年)は最新鋭のデジタル・ビデオを使用して自分一人を主要スタッフにすることで何が出来るかという試みでした。観客のことを前提としない最初の作品かもしれない。
これまで8ミリ、16ミリ、スーパー16、35ミリ、ビデオ、デジタル・ビデオと様々な異なる技術にチャレンジしてきて、私が心引かれるのは確かに新しいハードウェアですが、それをどう使えば映画になるかという興味が前提です。これらのハードは一つ一つ異なるもので、しかもそれ自体では映画ではない、と感じています。

光と闇に解体された自己

「THE MASTER OF SHIATSU 指圧王者」’89映画というのは「技術的な何か」だとは思わないのです。むしろもっと根源的な何かである。光と闇が人間にとって根源的な何かであるのと同様に。また人間という存在も解体されて光と闇に紛れてしまうものではないかと思うのです。
『指圧王者』('89年)では人間が気に感応して一種の運動体と化す様子を、ハイウェイの光の乱舞に同調させて描きました。私は子どものように、というよりむしろ赤ちゃんのようにフェティッシュに時代の技術的な達成の上限と戯れてきました。それは幸福なことでもあり、また何より周囲の理解あってのことですが、ひょっとしたら今後それは無理なんじゃないか、と感じています。もっと気合を入れ、これまでの自分の作品歴を思い切って捨て去るという覚悟をすべき時代が訪れたのではないか。

観客のゼロ度

逆噴射家族/狂い咲きサンダーロード確かに『逆噴射家族』('84年)のような映画を撮り、観客と一体化する喜びを味わえたのは得がたい体験でした。あるいは『狂い咲きサンダーロード』('80年)で劇場が興奮と同時にこの上なく静謐な状態に包まれた現場に居合わせたのも幸福な体験であった。そこには自分自身かつてそうであったような、映画を求めて劇場にやって来る熱狂した人々を見ることが出来たからです。
「狂映舎」のパートナー、大屋龍二さんは、私が博多で熱心に映画館リサーチをやっていたとインタビューで語ってくれましたが、別にそんなことはない。とはいえ観客が入っている映画館というのが好きだったのは確かです。
しかし21世紀の映画館、そしてそこに集まる観客という存在を、私はもはや、最初から前提としてカウントするということは出来ません。
自分には本来、映画を作るのと同時に上映することへのこだわりがあったのですが、今、こうして新たな次元に自分が入っていこうとしているのを感じるとき、観客はゼロから創造するものと思い定めているところです。自分とその仲間を支持し応援してくれた存在をご破算にするというのではもちろんない。しかし、劇場と私との幸福な共棲関係というのは終わったと思う。

同志として学生たちへ

石井聰亙さん昔は、お客さんの存在が次の映画の製作につながるという形でやっていた。しかし現在、潜在的な観客というのはいない。それをむしろ励みにして今後の自分を考えてみたいのです。どんな観客にも対応できるだけの職人技は蓄積してきたつもりだし、逆に言えばそうしたノウハウがきちんと込められていることが今後の自分の映画の必要条件だと思う。
今、映画学校で学生に映画を教えるということも熱心にやっています。もちろん教えることには喜びもありますが、むしろ学生たちは自分にとってライバルであり、映画を作る上での同志だと感じます。過去の私の映画スタッフの中から新しい映画の担い手が現れたように、ここから新しい才能が巣立っていくことを期待しています。

(2007年12月 渋谷にて TEXT:上島春彦/映画批評家 PHOTO:室谷亜紀/office北北西)
INTERVIEW:石井聰亙 Part 1 / Part 2
Profile: 石井聰亙
いしいそうご 映画監督

1957年、福岡県に生まれる。1976年、日本大学芸術学部入学直後、8mm映画デビュー作『高校大パニック』を撮り、熱狂的な支持層を得る。大学卒業制作の'80年『狂い咲きサンダーロード』でジャパニーズ・ニューウェイブの急先鋒となる。'82年『爆裂都市Burst City』を発表。斬新で前衛的なアクション映画を撮り続け、'84年の『逆噴射家族』はイタリアの第8回サルソ映画祭グランプリ等、国内のみならず海外でも高い評価を受ける。その前後からジャパニーズパンク・ニューウェーブシーンと共闘した数々の音楽ビデオと実験的短編映画製作に打ち込み、'94年の『エンジェル・ダスト』(バーミンガム映画祭グランプリ)で再び長編映画製作にカムバ ック、『水の中の八月』('95年)、『ユメノ銀河』('96年・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表し、新型時代劇大作『五条霊戦記』('00年)ののち、21世紀に入ってからは映画のジャンルを超越したハイパーエキサイトムービー『ELECTRIC DRAGON 80000V』('01年)、『DEAD END RUN』('02年)を発表。続けて2005年には、フルデジタル機材を使用して撮影も兼ねた『鏡心・完全版』を、デビュー時以来の個人制作ベースで製作後、全国上映ツアーを行った。テレビでは『私立探偵 濱マイク 第8話・時よ止まれ、君は美しい』('02年)等を監督。その他、ミュージッククリップ、ビデオアート、写真、ライブ活動等、様々なメィアで独自の作品世界を追求している。

石井聰亙公式サイト
http://www.ishiisogo.com/

 
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