DVDの内容紹介
●作家自身によるコメント
この作品についても、以前に書いたものからまず引用したい。
……アメリカで出会った映画作家たち。それぞれ各作家の代表的な手法を「借りる」ことで、たとえば、メカスをコマ撮りすることで、そのヴィヴィッドな人物像を、ウォーホルの映画を撮りっ放しにして、その無個性の表情をとらえた。 (飯村隆彦著「映像実験のために」青土社、1986年、40頁)
上の文は、作品の説明としては、きわめて簡潔なもので、全体を伝えるものではないが、要を得ている。説明調になることを避けたものであるが、ここでは改めて、約25年後に、作品について考えてみる。上の説明にあるように、60年代に、アメリカで出会った映画作家たちのポートレートであるが通常の意味のポートレートとは程遠い。
この作品の制作過程は、まず各作家について (最後の作家自身を除いて)、各200フィート (5分)づつ、無編集の撮影フッテージから構成されており、撮影の際のカメラによる「編集」はあるものの、通常の撮影後の編集はない。これは、最初から、そのようなものとして、カメラによる現場記録をそのまま提出することから成立している。
その現場記録も、ほとんどの場合、ファインダーを覗かずに、大体の露出とフォーカスをきめて撮影されている。これは、ファインダーを覗くことで、作家がカメラの背後に隠れることを防ぐために、むしろ作家も一人の個人として、対象と対面し、対話することを心がけたものだ。カメラマンであるまえに、一人の作家として、対象であるもう一人の作家と、コミュニケートすることの方が、はるかに重要であると考えた。その記録が、フィルムとして残される。したがって、通常の撮映者と被撮影者の関係ではなく、一人の対等な映画作家として、あるいは友人として訪問し、単に映画作家のみならず、その環境を含めて、記録する。撮影する本人も、その環境の一部として、(時には、メカスの場合のように、相手にカメラを渡して、対象のひとつとして撮影された)構成される。
このような基本的な考えで、各フィルム・メーカーをカメラをもって訪れた結果が作品となった。ここで各作家毎に、当時の状況を見い出してみよう。
(音は編集後に画面上のその瞬間毎の対象を単語によって言語化した「コメント」が加わっている。) |