DVDの内容紹介
●ジョナスとアドルフ・メカスは、1949年に生まれ故郷のリトアニアの農村から追放され、ドイツの労働収容所に収容されていた元囚人としてアメリカに到着しました。ソビエト警察に指名手配された彼らは、それ以前に家を出ることを余儀なくされ、27年間戻ることはありませんでした。『リトアニアへの旅の追憶』は、分断された家族と長らく遅れていた再会を描いた説得力のあるドキュメントである。
●「感動的で、耽溺的で、美しく、詩的で、平凡で、反復的で、勇気を持って、さりげなく個人的なことを書いている。」 ヴィンセント・キャンビー(ニューヨーク・タイムズ紙)
●この映画は3つのパートで構成されています。最初の部分は、アメリカに来て最初の数年、1950年から1953年の間に、私が最初のボーレックスで撮影した映像で構成されています。当時の私と弟のアドルフカスの姿、ブルックリンの移民たちがピクニックに行ったり、踊ったり、歌ったりしている雑多な映像、ウィリアムズバーグの街並みなどが収録されている。
●第2部は1971年8月にリトアニアで撮影された。ほとんどの映像は、私が生まれた村、セメニスキアイで撮影されています。古い家、母(1887年生まれ)、兄弟全員、ふざけて、故郷に帰ってきたことを祝う姿が映っています。25 年ぶりに故郷に戻った避難民の記憶の中でしか、今のリトアニアを見ることはできません。
●"第三部は、戦争中に強制労働収容所で一年を過ごしたマンブルク郊外のエルムホルンの括弧で始まる。括弧が閉じられた後、私たちはウィーンにいて、ペーター・クベルカ、ヘルマン・ニッチュ、アネット・マイケルソン、ケン・ジェイコブスといった私の親友たちに会います。映画は1971年8月のウィーンの果物市場の焼き討ちで終わる。──ジョナス・メカス
ジョナス・メカス Jonas Mekas
●1922年、リトアニア生まれ。1949年、弟のアドルファスとともにアメリカに亡命。アメリカの映像作家・詩人・実験映画のオルガナイザー。1950年代からハリウッド映画に対する批判としてニューヨークなどでさかんになった実験映画の文化を支えながら、自らも数々の映像作品を制作。とくに身辺の映像記録をもとにした「日記映画」で知られる。晩年まで母国語のリトアニア語で詩作を行い、リトアニアを代表する詩人の一人でもある。映画の代表作は『営倉』(1964年)、『リトアニアへの旅の追憶』(1971〜72年)、『ロスト・ロスト・ロスト』(1976年)、『時を数えて、砂漠に立つ』(1969年、1985年)。2019年、96 歳で亡くなる。 |